私がドラムをはじめたのは中学生の頃。Blanky Jet CityやTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTなどのブームがやってきて、まんまとそのカッコ良さにやられてのことです。高校3年で、Boogie the マッハモータースというバンドを組んで地元福岡で活動後、22歳の時にインディーズレーベルでのリリースを足がかりにしてバンドごと上京することに。現在も同じバンドでドラムを叩いています。
上京して数年、アルバイトをしながらバンド活動を進めていると、一本の連絡が。
それは「The Samosというバンドのライブサポートでドラムを叩いてもらえませんか」というものでした。そのバンドはスケボーキングというグループのメンバーが新たに立ち上げるユニットで、大手レコード会社からのリリースが決まっている、まさにプロ。
草の根的に小さなライブハウスで重ねてきた、Boogie the マッハモータースでの演奏が”ギョーカイ人”の目に(耳に)とまってのオファーでした。
しかし、スケボーキングというグループは、私がブランキーやミッシェルなどのロックに心酔している同じ頃に、ヒップホップミクスチャーバンドとして名を馳せていた人たち。多くのロックキッズが通るように、私も当時は「ダボダボのズボンを履いとーやつの音楽げな、ダサいに決まっとーやん!(博多弁)」と排他的な気持ちをもっていたものです。
そんな青春時代を過ごした私に、まさか元スケボーキングのバンドのドラムというお鉢が回ってこようなんて、夢にも思っていませんでした。
けれど、実際にリハやライブを重ねて行くと、聴きもせずに「ダサいに決まっとーやん!」と思っていた音楽の魅力と、制作に対するメンバーのこだわりや演奏に、心地よさを感じるように。
そうしているうちに、演奏やアレンジ面でもディスカッションに加わるなど、気がついたら「この曲をもっとよく聴かせるには」と本気で考えるようになっていきました。
そんな心境の変化によって、「ドラムを叩くという行為」自体が好きなんだということに気がつきました。それからは、もちろん「ダサい/カッコいい」という信念は持ちながら、演奏自体を楽しめるようになったのです。
一方、私の生活を形作るもうひとつの仕事が、書き物です。
今はライター業が中心ですが、入り口はテレビの放送作家でした。ドラムと放送作家は、一見すると無関係のように思えるかもしれませんが、実はこれもライブハウスでの縁から始まったものでした。
とあるイベントにバンドで出演したときのこと。当時、ゴールデンのテレビ番組で主題歌を担当していたバンドとの共演でした。そのバンドのマネジメントをしていたのがレコード会社ではなく、テレビの制作会社。
イベント当日も制作会社のお歴々がライブを見に来ており、私たちの演奏がその方々の目に止まったのです。
イベント後に制作会社の方と連絡先を交換し、やり取りをしていると「今、放送作家をさがしている。君は、ブログなどを熱心に書いているようだけど、作家はできないか」といった趣旨のお誘い。
10代のころから、爆笑問題の深夜ラジオにネタハガキを投稿しまくっていた私は、作家という仕事にも憧れを持っており、やったこともないのに「できます」と返事をしたのです。
先方は当然、私がペーペーであることを見抜いていたようですが、うまく立ち回ってくださり、番組を担当させてもらうことになりました。
喜んだのもつかの間、それはBS朝日の「世界の名画」という西洋美術の番組。バラエティの放送作家に憧れていたのですが、ゴリゴリにアカデミックで、興味を持ったことさえない西洋美術の番組をつくることになったのです。
さらには、スポンサーに旅行会社が入っていたため、美術番組なのに「旅感を出して欲しい」という鋭角な要望も。そんな番組で、他のスタッフに支えられながら、なんとか2年ほど作家を務めました。
ここでも、ドラムサポートの仕事をしはじめた時と同じことに気がついたのです。バラエティーの作家に憧れていたけれど、アカデミックな番組でも、書いてみるとやりがいを感じており、何を書くかではなく「書くという行為」自体が好きなんだと。
信念に反することはしないけれど、叩くことや書くという「行為自体」が好きだと気付いてからは、ジャンルにこだわっていた頃より、幸福を感じる時間が多くなったことは、言うまでもありません。
■Profile:
Mr. Tsubaking
Boogie the マッハモータースやThe Buttzのドラマーで、NHK Eテレ「大!天才てれびくん」(2011年)の主題歌など担当。サエキけんぞうや野宮真貴、菊(サンハウス)やThe Samosなどのサポートドラマーを歴任。放送作家としてBS朝日「世界の名画」などの構成を担当。ライターとして週刊SPA!や週刊プレイボーイ、その他web媒体に寄稿。仏教検定1級や温泉ソムリエの資格を持ち、バス停に置かれたイス「野良イス」の写真を収集している。