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TVの世界で淘汰されないようにという考えを、手芸が癒してくれる(タレント・光浦靖子さん)

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タレントや文筆家としてマルチに活躍する光浦靖子さんは、小学生の頃から長年手芸を続け、これまでに作品集を3冊も出版されています(『男子がもらって困るブローチ集』『子供がもらって、そうでもないブローチ集』『靖子の夢』いずれもスイッチ・パブリッシング)。光浦さんの作品は、色や素材の組み合わせだけでなく、モチーフとなるものへの愛情や、つくることそのものを心から楽しんでいる様子がひしひしと伝わってくるのが魅力。5月末に文藝春秋より、新たな手芸作品集『私が作って私がときめく自家発電ブローチ集』と書き下ろしエッセイ『50歳になりまして』を2冊同時刊行される光浦さんに、手芸にハマったきっかけや、手芸を通じた変化、これからやってみたいことなどを伺いました。(マルシェル運営)

「手品部」と間違えて「手芸部」に

「手品部」と間違えて「手芸部」に
――光浦さんが手芸をはじめたきっかけを伺えますか?

光浦さん:きっかけは、小学校3年生のときのクラブの時間。「手品部」と間違えて「手芸部」に入って。手芸っていう言葉を知らずに「手」と「芸」の字が入っているから、手品かなと思ったんです。
入ったら、糸とフェルトを渡されて。でもそのクラブが女子ばっかりで、「え?手品って男子が多いかと思ったけどなあ?」と思いながら縫い方を教えてもらって。最初は何を作ってるかわからなかったの。手品のタネだと思ってた。そしたら縫うこと自体が楽しくて、その日のうちにハマっちゃって、親に「フェルトと糸がほしいから買ってくんないか」って言って。

――それまで身近に手芸をなさる方はいらしたんですか?

光浦さん:うちの母親が編み物をしてました。セーターを作ってくれたりね。あとはオリジナルの枕。私はうさぎでお兄ちゃんがトラで、今見たら相当凝ったかわいいやつなんですよ、耳や目玉がついていたり。でも子どものときは良さが分からなくて、みんなみたいに既製品のアニメとかが描いてある枕が良かった。お昼寝の時間、保育園の先生はみんな褒めてくれるの、「やっちゃん、良い枕だね」って。でも子どものときは、自分だけ違ったのが恥ずかしかった。

――小学校ではずっと手芸部だったんですか?

光浦さん:そうなんですよ。3年生から5年生まで3年間手芸部。で、6年生の時にいよいよ辞めようと思ったの。他のことも学んでみたいと思って。籐を編むのとか、編み物クラブとか、ガラス細工もあったの。
でも春に盲腸になって入院しちゃって。入院しとる間に友だちが「やっちゃんは手芸が好きだから」って手芸部に入れられてて。だから小学校の時はずっと手芸部。

――4年間手芸部だったんですね。初めて手芸をした時「脳ミソから気持ちよくなる汁がバンバン出てくる」って本の中で書かれてましたよね。最初は「手品」だと思ってはじめられた手芸でしたが、縫うこと自体が楽しいから続いたのでしょうか?

光浦さん:なんでしょうね、楽しんですよね。縫ったりとか。昨日も思い立って袋を作ろうと思って、昨日から今朝までずーっとミシンかけてて。

――中学や高校、大人になるまでも、何かの形で手芸は続けていらっしゃったんですか?

光浦さん:ずっとやってましたね。手芸部でもないし、誰に発表するわけでもないですけど、フェルトで人形とか巾着袋を作っていましたね。

――作ったものは、お友だちにプレゼントしたりもしていたんですか?

光浦さん:ちょこちょこプレゼントしてましたね。

――喜ばれそうですね。

光浦さん:いや、仲のいい友達に大人になってから、実は困ったって、教えられて(笑)。クオリティも低いけど、手作りの人形って捨てられないでしょう?「なにかあるたびにやっちゃんはすぐ人形作って持ってくるから」って言われて、「ああ、悪かったなあ」って(笑)。
 

手芸のお供は「相棒」と「科捜研の女」

手芸のお供は「相棒」と「科捜研の女」
――光浦さんはこれまで、羊毛フェルトを使ったブローチの作品集を3冊出版されています。羊毛フェルトをはじめたのはいつ頃から?

光浦さん:2008年か2009年くらいです。久々に手芸屋に行ったら、ニードルフェルティングの材料が売ってて、こんな手法があるんだって。その前はあんまり普及してなかったから、手芸屋さんで手に入らなくて。それが急にメジャーになってワーっと材料が売られるようになって、それではじめました。
「こんなん知らん、やりたい!」と思って。

――最初からブローチだったんですか?

光浦さん:最初は、ただ、ちぃこい豚を作って。でも、なんかさびしいなって思って。その前にちょうど、ヨーロッパのリボンとか毛糸とかの手芸のパーツを売っとる店を発見して、かわいいけど輸入もんだからボタン一個で500円とかめっちゃ高くて、「もったいね」と思いながら、おっかなびっくりいくつか買ってて。それを使いたいけど使う場がなくて、「あ!豚の周りにデコレートすればいいんだ!」と思って。

――光浦さんの作られるブローチは、色やパーツの組み合わせがかわいくてワクワクします。色の組み合わせはどうやって思いつくんですか?

光浦さん:動物のモチーフを作るとおのずとキャラクターのイメージカラーが出てくるんで、そのイメージカラーに合わせて、対極の色とか効かせ色を周りに配置したり。それがもう、楽しくて。
完璧な一人遊びだもんで、お人形遊びみたいに自分が作った猿が「黄色が好き」とか喋って、「よし、じゃあ黄色にしましょう」って。こういう事を言うと、おかしな人だと思われるかな?(笑)

――作ってるものと対話しながら。

光浦さん:そうそうそう。それがリラクゼーションだもんで。人にとやかく言われるようなことじゃないしね、と思って。

――手芸するのはどういう時間が多いですか?

光浦さん:大体、夜が多いかな。休みの日も日が陰ってからかな。日中はあんまりやってない。

――作っているときって、音楽をかけたり映画見たりと何か一緒にやっていることはあるんですか?

光浦さん:テレビドラマつけっぱなしが、一番集中できます。音楽だと、歌うたっちゃったりして。映画だと集中しなきゃいけなくて、洋画なんてずっと字幕を見にゃいかんからもってのほかで。バラエティは職業柄、精神衛生上よくない(笑)。だからドラマ。

――特にどんなドラマを見るんですか

光浦さん:テレ朝の、あの枠のドラマがいいですね。おすすめは「相棒」と「科捜研の女」。ちゃんと地に足がついていて、ストーリーが一話完結でいつ見てもついていけて、耳で聴いているだけでも理解できるっていう、台本がしっかりしたドラマ。それがやっぱり一番、手芸がはかどる。
役者さんもみんな地に足がついている人たちだから、お芝居にも不安感がないんだよね。安定感があって安心して見ていられるっていう。なぜか針がはかどるの。
 

好きなことをやって生きていけたらいいな……手芸で心が安定した

好きなことをやって生きていけたらいいな……手芸で心が安定した
――小学生の頃からずっと手芸を続けてこられた光浦さんですが、芸能のお仕事の中で、作った作品を表に出すようになったのはいつ頃からでしょうか?

光浦さん:2012年、一冊目の本を出してから、そういう仕事の依頼がすこーしずつ来るようになった感じです。

――最初の本『男子がもらって困るブローチ集』のお話は、出版社の方からあったんでしょうか?

光浦さん:いやいや、それが恐ろしいことに、本出したいって言っても全部断られてて。あーあ、困ったなと思っていた話をスタイリストさんにしたら、たまたまスイッチ・パブリッシングの編集者の方と友だちで話をしてくれて。その人がすごい面白がって、作品見せてよって言ってくれて。
それがまさに、震災の後。自粛ムードで「飲みに行けない」「飲みに行くほうが経済を助ける」みたいな時期に、怒られるかなって思いながら作品を箱にぎゅうぎゅうに詰めて飲み屋に持っていって「これです」って見せて。
そしたらその編集者の人がゲラゲラ笑いながら超面白いって言って、その場で本出そうって決めてくれました。
「手芸で3部作を作りたい」って言ったら、全然お金ないのに無理して3冊全部出させてくれました。

――出版前は、作品をTVなどで発表する機会はあったんですか?

光浦さん:いや、その前から色んな番組で「趣味は?」って聞かれて「手芸です」って言っても、絵にならないって全部却下されてた。それが今や、ものづくりでオファーが来るようになって。本当に時代が変わった。私はずっと変わらず、趣味は手芸って言い続けてきただけで。
手芸がブームになったから私がプレゼンしてるわけじゃなくて、受け手の人とか作り手が変わったっていうか。すごーい、手芸が市民権を得てきた!と思って。

――出版されて、手芸好きを堂々と表に出すようになって、お仕事上での変化はありましたか?

光浦さん:仕事上の変化はないですが、自分の精神衛生状態が安定しました。お笑いやTVの世界で是が非でも生き残らなきゃ、毎日淘汰されないようにしようっていうものの考え方から、「ものを作って生きていけないかしら」っていう。

――TVの世界とは別で軸足がしっかりとできた、ということでしょうか。

光浦さん:うん。今は儲けはないけど、まあ頑張れば一日何千円かは稼いで最低ラインの生き方はできるかなあ、みたいな。そしたら今の貯金をちょっとずつ崩して、年金も足して……って色々計算していくと、年食ってもなんとか生きていけるんじゃないかな、とかね(笑)。そういうことを想像すると、ちょっと心が安心するっていう。好きなことをやって生きていけたらいいなって。

――自分の心を、人に依らず自分自身の力で癒やす方法を持っているって強いなと思います。

光浦さん:逃げ場が一個あるって感じだよね。
 

会いたい人、好きな人だけを作った作品集

会いたい人、好きな人だけを作った作品集
――5月末に新しい作品集『私が作って私がときめく自家発電ブローチ集』(文藝春秋)を出版されますが、掲載する作品はすべて新たに作ったものでしょうか?

光浦さん:そう。コロナになって仕事が全部なくなったときに作り始めて。いくつか無目的で作って、ある程度溜まったんで本出したいって知り合いの編集者を訪ね、お願いして、出版社を見つけてきて頂いて。

――本のタイトルに「私が作って私がときめく」とありますね。本に登場する方々は、光浦さんが作りたいっていって作った方ばかりでしょうか?

光浦さん:うん。世間のご意向なんてどうでもよくて、私が好きな人を全部作った。なので多分、10代、20代の子はピンとこない人もいるでしょう。

――よく見ていたり関係性ある人だからこそ、モチーフとなる人の愛らしさや人柄がにじみ出ている感じがいいのかなあ、と思います。……すみません、まだインスタで作品を拝見しているだけですけど。

光浦さん:なんだろうなあ。人に媚びて人選をしたとて……みたいな。
自分が作りたい人を作ることが大事。ものづくりって自分が楽しければいいじゃんっていうコンセプトだから、今回は。

――この人作ってくださいと頼まれて作ったりは?

光浦さん:ないですね、本に関しては。自分が楽しけりゃいいやっていう。あとは動物やらなんやら、あーこれ作りたい、本に載せてないともったいないなっつって載せたりしてるから、支離滅裂な感じになってるところもありますけど。

――今後、手芸を通してやってみたいことはありますか?

光浦さん:もうちょっとクオリティは上げないとな。最終的には、美術館コントをやりたくて。

――美術館コント!

光浦さん:そう。美術館みたいに作品を展示して、音声ガイドを全部コント仕立てにして。
せっかくお笑いの事務所にいるし、コネクションもあるわけで。作品を見るイヤホンガイドをラジオコントみたいにして、聴きながら作品を見て、聴き終わったら次のブロックに行ってっていう、全部を誘導したアトラクションを作ってみたくて。
その小規模なものは、前に「ほぼ日」のギャラリーとスイッチ・パブリッシングのカフェと二箇所同時にやったことがあって。道中は道に迷わなければ徒歩7分で行けるから、その地図も渡して、7分間の道のりを楽しめるように歌も作って。
めっちゃ面白かったんで、もうちょっとブラッシュアップしてやってみたいですね。演劇を見たりお笑いのライブを見たりという選択の、もう一つになればいいなと思って。

――作るのと、それを面白く語るのと両方できるのって、まさに光浦さんならではですね。
 
■Profile:光浦 靖子 1971年生まれ。愛知県出身。同級生だった大久保佳代子とお笑いコンビ「オアシズ」を結成。国民的バラエティー番組『めちゃ2イケてるッ!』(CX系)のレギュラーなどで活躍。現在は、ラジオ番組などに出演するほか、手芸作家・文筆家としても活動。新聞、雑誌などへの寄稿のほか、著書には『靖子の夢』(スイッチパブリッシング)、『傷なめクロニクル』(講談社)などがある。2021年5月に、手芸作品集『私が作って私がときめく自家発電ブローチ集』およびエッセイ『50歳になりまして』(いずれも文藝春秋)を2冊同時刊行。 Instagram https://www.instagram.com/yasukomitsuura/
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